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2007-07-20

【インド】シェカール元首相が死去

去る8日、インドのチャンドラ・シェカール元首相がデリーの病院で癌のため死去した。80歳だった。
シェカール元首相は89年総選挙で当時、汚職疑惑が追及されていた国民会議派政権を破ったジャナタ・ダル(JD)中心のV.P.シン連立政権に加わったが、同政権はヒンズー右派のインド人民党(BJP)から共産党諸派まで含む寄り合い所帯だったために下位カースト優遇枠拡大などの思い切った政策転換に失敗。下野していた国民会議派は政権運営の混乱を見て、ジャナタ・ダル有力者ながらシン首相に批判的だったシェカール氏に党を分裂させて首相ポストを提供、国民会議派の政権復帰に道を開く結果となった。
シェカール首相は独自の政党、社会主義ジャナタ党全国派(SJP-R)を結成したが国民会議派の閣外協力の下で91年の総選挙に臨んだが惨敗。わずか半年の首相となった。この選挙での南部遊説中にスリランカのタミル・タイガーの自爆テロで暗殺されたラジヴ・ガンジー元首相に代わって国民会議派長老のナラシマ・ラオ氏が首相に就任。マンモハン・シン蔵相の下で現在の経済発展に連なる経済開放政策を開始することとなった。
シェカール氏は当時、国民会議派への復帰もいわれたが、結局のところ社会主義ジャナタ党を現在に至るまで存続させた。しかし分裂当初は60名の国会議員を数えた同党も議員が次々と離脱。のち首相となるゴウダ氏はジャナタ・ダルに復帰、ウッタル・プラデシュ州首相となるムラヤム・シン・ヤダフ氏は社会党を結成と党は分裂を繰り返し、ここ数年は所属国会議員がシェカール氏1人だけのミニ政党となっていた。しかし元首相であるため、晩年まで外交上の特使として活動するなどもしていた。

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中道改革派ジャナタ・ダルのなかで「社会主義」の傾向が強く「左派」とされていたシェカール元首相ですが、当時の閉鎖的なインド経済が深刻な危機にあるなかで改革開放に固執・反対し、半国営企業というべきインドの諸財閥とのつながりが言われるなど「中道左派」ではあるものの清廉とはいえず「守旧派」の色が濃厚な人物でした。それが万年与党を破った旧政権を割って万年与党の政権復帰に道をつけるあたり、その後の日本の政局と似通った部分を感じなくもありません…。
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プロフィール

西形公一

Author:西形公一
もと「民社ゆーす」(旧民社党全国青年部系)事務局長。昔は漫画と法律のことなどをやっていましたが、その後にインド・ネパール・タイなど熱帯アジアの国ぐにとパシュミナを軸とする小口貿易やNPO、研究活動など人とのつながりなどの縁ができて、今に至っています。写真は夕刻のゴア(インド)にて。

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