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2014-07-10

【おくやみ/グルジア】シェワルナゼ元大統領が死去

7日、グルジアのシェワルナゼ元大統領が死去した。86歳だった。

シェワルナゼ氏はソ連時代、グルジアの共産党第一書記や治安担当閣僚など要職を経て、1985年に就任したばかりのゴルバチョフ共産党書記長(当時)に引き立てられて外相となり、ペレストロイカ体制の下で「新思考外交」を推進、冷戦終結の立役者となった。しかしゴルバチョフがソ連大統領に就任後、保守寄りに舵を切るとこれを穏健改革派として批判、外相を辞任したうえ共産党も離党し、親欧米的な民主社会主義色のある路線に移行した。91年8月の共産党保守派クーデター未遂においては改革派に立った。
その後、ソ連崩壊直前に一時期、外相に復帰したが、そのままソ連は崩壊。民族主義的なガムサフルディア政権が崩壊した後の故国グルジアに迎えられ、最高会議議長から大統領に就任した。このとき組織した与党・グルジア市民同盟はシェワルナゼの名声もあり社会主義インターに加盟していた。
だがシェワルナゼの政治手法はソ連時代から一貫して穏健改革派であり漸進的な改革を志向するものであったため、グルジアをめぐる急速な政治経済情勢の変化に対応しきれず、国内で蔓延した政治腐敗や官僚主義に手を付けることができなくなってグルジアの民意と乖離していった。このため最終的には「カラー革命」の一環としてかつてシェワルナゼ政権で閣僚だったサアカシビリを先頭に「バラ革命」が起き、大統領辞任に追い込まれた(同時にグルジア市民同盟も解体)。しかしかつて統一の立役者となったドイツからの亡命受け入れの申し出を断り、余生をグルジアで過ごした。この間、サアカシビリは大統領に就任し一時は圧倒的な支持を得たものの、のちに強硬な反ロシア路線を掲げたうえでアブハジアや南オセチアへの軍事侵攻失敗から両地域の事実上の独立を許してしまって求心力を失い、議会選で敗退し事実上の失脚に追い込まれたまま大統領職を去っている。
ソ連の改革派として冷戦を終結させた立役者から祖国グルジアの指導者に復帰したものの「革命」に倒された生涯は、20世紀後半の希望と混迷を象徴するかのようであった。
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プロフィール

西形公一

Author:西形公一
もと「民社ゆーす」(旧民社党全国青年部系)事務局長。昔は漫画と法律のことなどをやっていましたが、その後にインド・ネパール・タイなど熱帯アジアの国ぐにとパシュミナを軸とする小口貿易やNPO、研究活動など人とのつながりなどの縁ができて、今に至っています。写真は夕刻のゴア(インド)にて。

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