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2012-10-15

【おくやみ/カンボジア】シアヌーク前国王が死去

15日、カンボジアのシアヌーク前国王が病気治療のため滞在していた中国・北京で死去した。89歳だった。

1941年、フランス(ナチスドイツの影響下にあったヴィシー政権)統治下の保護国だったカンボジアでフランス総督の裁定により国王として即位。その後45年にフランスの植民地政府が日本軍の手により解体されると、その影響下ではあったがカンボジアの独立を宣言。日本の敗戦後はフランスの帰還を認めたものの完全独立を目指して闘争を続け、53年に完全独立を達成、「国父」視されるようになった。

その2年後には王位を父親に譲位して政治家となり、「社会主義人民共同体(サンクム)」を率いて同年の総選挙に圧勝、首相に就任した。サンクムは仏教社会主義を中軸に民族主義、保守主義、反共主義などを混交した団体で、外交的には非同盟路線を、内政的には穏健な福祉開発路線をとった。この間、60年には父王の崩御により王位に就かないまま国家元首に就任した。このサンクム体制は「王制社会主義」と呼ばれ、その後のカンボジアの歩んだ悲惨な道を考えると、相対的に平和で安定した時期であったといわれる。しかし非同盟ではあったが親北ベトナムの姿勢もあり、隣国でのベトナム戦争の波及を防ぐことができず73年には親米派ロン・ノル将軍のクーデターで追放されてしまう。

これに対してシアヌークはそれまで弾圧してきた毛沢東主義的な極左共産主義者クメール・ルージュと提携し、75年にはベトナム戦争でのアメリカの敗退にともない農村共産主義を掲げるクメール・ルージュのポル・ポトが政権を掌握、国内で大虐殺(キリング・フィールド)が繰り広げられるなかで幽閉されていた。しかし79年にベトナム軍が侵攻しポル・ポト政権は崩壊。以後、シアヌーク派、クメール・ルージュ、旧ロン・ノル派に近かった反共右派であるソン・サン派で三派連合を組み、シアヌークは大統領となって、ベトナム軍および親ベトナム派のヘン・サムリン政権とゲリラ戦を繰り広げた(カンボジア内戦)。

その後90年代に入って和平協定が結ばれ、国連カンボジア暫定統治機構(明石康代表)のもとで制憲議会の選挙が行われて王党派が議席を伸ばし、シアヌークが再び国王に即位。しかしこの間、親ベトナム派であるヘン・サムリン政権の流れを汲むフン・セン首相の人民党(一時期社会主義インターに加盟していた)が国内に有する強い組織力を背景に実権を広げていった。また内戦で荒廃を極めた国土の再建に努め、99年にはアセアン加盟を実現した。だが世界最貧国のひとつに転落した状況からは、いまだ復興半ばである。
2004年、シハモニ王子に王位を譲ったのちは第一線を退き、病気の治療に専念していた。しかし前国王としてカンボジアで発言する局面も最後まであった。

カンボジア国内ではすでに人民党政権を率いるフン・セン首相が実権を固めており、シハモニ国王も政治的野心のない人物であることから、大きな歴史の区切りとはいえ、国内政治にただちに影響がでるというわけではない。
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プロフィール

西形公一

Author:西形公一
もと「民社ゆーす」(旧民社党全国青年部系)事務局長。昔は漫画と法律のことなどをやっていましたが、その後にインド・ネパール・タイなど熱帯アジアの国ぐにとパシュミナを軸とする小口貿易やNPO、研究活動など人とのつながりなどの縁ができて、今に至っています。写真は夕刻のゴア(インド)にて。

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